「人は安息を必要とする」 07.04.29
ルカ10:38〜42
主イエスは、忙しく働き、多くのことに思い悩み、心を乱して
いるマルタという女性に、ご自分の足元に座っているマリアと
いう女性を指し示されました。
忙しい現代社会に生きている私たちも、多くのことに思い
悩み、心を乱すことが多くあります。主イエスは、そんな
私たちにも、主の前に座ってみ言葉に耳を傾けるマリアの
姿を指し示してくれます。
十戒の「安息日を覚えてこれを聖とせよ」という言葉は、
「週に一度、仕事を休んで、神さまに心を向けなさい」という
恵みの言葉です。クリスチャンは、日曜日ごとにこの世の
生活を一旦中断し、この世の生活から離れて、礼拝に集ります。
そこで、人がどうしても知っておくべき大切なことを、思い起こします。
第一のことは、「神さまが自分の人生の主でいてくださるという
厳粛な事実」です。安息日は、神さまが世界をお造りになった天地
創造と結びついています。安息日は、自分自身が神さまに心を
込めて造られ、命の息を吹き入れられて生きていることを思い
起こす日です。そして、神さまから祝福され、「良い」との宣言を
受けている自分であることを知る日です。自分が肯定されている
存在であることを知ることは、人にとって必要なことです。この世の
生活をするときに、自分の罪深さや弱さに出会います。
しかし、礼拝に集い、主イエスの十字架を見つめながら、
「ダメ」ではなく、「良い」と言っていただける自分に変えられている
ことを知らされます。
第二に、永遠の命が用意されているということです。教会は、
主イエスが復活された日曜日に礼拝をします。その復活の出来事に
目を向けながら、死は人の終わりでなく中断にすぎないということを
確認します。それによって、永遠の光を見抜く目が養われていきます。
主イエスの前で休むことを示されたマルタは、その後、働かない
人になったのではありません。心乱すことなく、本来の自分らしく
働く人になりました。
安息日は、私たちが本来の自分を取り戻す日です。